ストレスと慢性炎症:心身をつなぐ分子メカニズム
仕事のプレッシャー、人間関係の葛藤、経済的不安――現代社会に暮らす私たちは、日常的に心理的ストレスにさらされている。「ストレスは身体に悪い」という認識は広く共有されているが、その分子メカニズムは長らく不明であった。なぜ、心の状態が心臓病やがんという身体疾患のリスクを高めるのか。この問いに対する答えが、21世紀に入ってようやく明確になりつつある。その鍵を握るのが「慢性炎症(chronic inflammation)」である。心理的ストレスが免疫系を介して炎症反応を引き起こし、それが長期にわたって持続することで、全身の臓器に損傷を蓄積させる――このメカニズムの解明は、予防医学のパラダイムを根本から変えようとしている。
なぜストレスが身体を蝕むのか:炎症仮説の台頭
ストレスと疾患の関連は、疫学的には長く知られていた。2012年、ロンドン大学のMika Kivimaki博士らは、Lancet誌に発表したメタ分析で、仕事関連のストレスが冠動脈疾患のリスクを23%高めることを約20万人のデータから示した(Kivimaki et al., 2012)。同様に、慢性ストレスは2型糖尿病、うつ病、認知症、がんのリスク上昇とも関連する。しかし、「ストレスが身体疾患を引き起こす」というとき、心と身体をつなぐ具体的な分子経路は何なのか。
その答えとして浮上したのが「炎症」という共通経路である。炎症とは本来、感染や外傷に対する生体防御反応であり、免疫細胞が動員されて病原体を排除し、組織を修復するプロセスである。しかし、この反応が明確な病原体なしに長期間持続する状態――「慢性低度炎症(chronic low-grade inflammation)」――が、加齢関連疾患の共通基盤であることが判明した。この概念は「インフラメイジング(inflammaging)」とも呼ばれる(Franceschi et al., 2000)。
炎症の度合いを測定する代表的なバイオマーカーがC反応性蛋白(CRP)である。CRPは肝臓で産生される急性期蛋白であり、高感度CRP(hs-CRP)測定により微弱な慢性炎症を検出できる。Sheldon Cohen博士(カーネギーメロン大学)の一連の研究は、心理的ストレスが高い人ほどCRPレベルが上昇していることを繰り返し示している(Cohen et al., 2012, JAMA)。重要なのは、CRPの上昇が感染症やけがではなく、純粋に心理的要因によって引き起こされている点である。
HPA軸とコルチゾール:ストレス応答の分子基盤
ストレスに対する身体の応答を制御する中枢的なシステムが、HPA軸(Hypothalamic-Pituitary-Adrenal axis:視床下部-下垂体-副腎系)である。心理的ストレスを知覚すると、視床下部がCRH(副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン)を分泌し、下垂体前葉からACTH(副腎皮質刺激ホルモン)が放出され、副腎皮質からコルチゾールが産生される。コルチゾールは「ストレスホルモン」として広く知られているが、その作用は複雑で二面的である。
急性ストレスにおいて、コルチゾールの上昇は適応的な反応である。コルチゾールはグルコースの動員を促進し、闘争・逃走反応に必要なエネルギーを確保する。また、急性的にはコルチゾールは抗炎症作用を持ち、過剰な免疫応答を抑制する。問題は、ストレスが慢性化した場合に生じる。持続的なコルチゾール曝露は、グルココルチコイド受容体(GR)のダウンレギュレーション(脱感作)を引き起こす。すなわち、免疫細胞がコルチゾールのシグナルに応答しなくなるのである。
2002年、Gregory Miller博士らは、慢性ストレス下ではグルココルチコイド受容体の機能が低下し、コルチゾールによる炎症抑制が効かなくなる「グルココルチコイド抵抗性(glucocorticoid resistance)」が生じることを体系的にまとめた(Miller et al., 2002)。この状態では、コルチゾールは高レベルで分泌され続けるにもかかわらず、炎症を制御できない。結果として、炎症性サイトカインが制御不能に産生され続ける――慢性炎症の分子的基盤がここに成立する。Slavich & Irwin(2014)はPsychological Bulletin誌の包括的レビューで、この経路を「社会的シグナルトランスダクション理論(Social Signal Transduction Theory of Depression)」として理論化している。
NF-κBとサイトカイン:炎症のスイッチを入れる
グルココルチコイド抵抗性によって炎症抑制が効かなくなった免疫細胞では、NF-κB(核内因子κB)という転写因子が活性化される。NF-κBは炎症性遺伝子の「マスタースイッチ」と呼ばれ、活性化されるとTNF-α(腫瘍壊死因子α)、IL-6(インターロイキン6)、IL-1β(インターロイキン1β)など数十種類の炎症性サイトカインの遺伝子発現を一斉に促進する。UCLAのMichael Irwin博士とSteve Cole博士は、2011年のBrain, Behavior, and Immunity誌における包括的総説で、心理的ストレスがNF-κBを活性化し、全身性の炎症反応を引き起こすメカニズムを詳細にまとめた(Irwin & Cole, 2011)。
Sheldon Cohen博士のカーネギーメロン大学における一連の「風邪ウイルス実験」は、ストレスと炎症と疾患の関係を鮮やかに実証している。Cohen博士は健康なボランティアに風邪ウイルス(ライノウイルス)を意図的に投与し、その後の感染率と症状の重症度を追跡した。慢性的なストレスを報告した参加者は、ウイルス感染後に過剰な炎症反応を示し、より重い風邪症状を呈した。2012年のPNAS論文では、グルココルチコイド受容体の感受性が低下している人(すなわち、コルチゾールによる炎症制御が効きにくい人)ほど、ウイルス曝露後の炎症性サイトカイン産生が多く、風邪の症状が重いことが示された。
Cole博士のさらなる研究は、社会的孤立や低い社会経済的地位がNF-κB経路の慢性的な活性化と関連することを示している。彼が提唱する「保存的転写応答(Conserved Transcriptional Response to Adversity: CTRA)」という概念では、逆境に対する進化的に保存された遺伝子発現パターンが、炎症性遺伝子のアップレギュレーションと抗ウイルス遺伝子のダウンレギュレーションを同時に引き起こすことが示されている。この応答は短期的な脅威(外傷による細菌感染リスク)への適応として進化したが、現代社会の慢性的な心理社会的ストレスのもとでは、持続的な炎症をもたらす不適応反応となる。
ストレス性炎症と疾患:心疾患からうつ病まで
慢性炎症がストレスと身体疾患をつなぐ「共通経路」であるならば、炎症を直接標的とすることで疾患を予防できるはずだ――この仮説を大規模に検証したのが、ハーバード大学のPaul Ridker博士が主導したCANTOS(Canakinumab Anti-inflammatory Thrombosis Outcomes Study)試験である。CANTOS試験は、心筋梗塞の既往があり、かつhs-CRPが上昇している10,061名の患者を対象に、抗IL-1β抗体(カナキヌマブ)を投与する大規模RCTとして実施された。2017年にNew England Journal of Medicine誌に発表された結果は画期的であった(Ridker et al., 2017)。カナキヌマブ投与群では、主要心血管イベント(心筋梗塞、脳卒中、心血管死)が対照群と比較して15%有意に減少した。LDLコレステロールは低下しなかったにもかかわらず、炎症マーカーであるhs-CRPの低下のみで心血管イベントが減少したのである。この結果は、炎症が心血管疾患の独立した原因であることを因果レベルで証明した初めてのエビデンスであった。
うつ病と炎症の関係も急速に解明されつつある。Raison & Miller(2011)は、うつ病患者の約3分の1で炎症性バイオマーカー(CRP、IL-6、TNF-α)が上昇していることをメタ分析で確認した。彼らの「炎症仮説」によれば、慢性炎症はセロトニンやドーパミンの合成を阻害し、神経可塑性を低下させ、うつ症状を引き起こす。Kiecolt-Glaser博士(オハイオ州立大学)の創傷治癒研究は、この心身連関をさらに明確にした。彼女の研究では、夫婦間の敵対的なやりとりの後に皮膚の実験的創傷の治癒速度が40%遅延し、創傷部位での炎症性サイトカイン産生が増加していた。介護者ストレスの研究でも、アルツハイマー病患者の配偶者介護者は、非介護者と比較してインフルエンザワクチンへの抗体応答が低く、創傷治癒が遅いことが繰り返し示されている。
がんとストレス性炎症の関連も注目されている。Lutgendorf et al.(2011)は、卵巣がん患者における社会的孤立と低い社会的サポートが、腫瘍微小環境におけるIL-6やVEGF(血管内皮増殖因子)の上昇と関連し、腫瘍の進行を加速させる可能性を示した。慢性炎症はDNA損傷の蓄積、細胞増殖の促進、免疫監視の回避を通じて発がんを促進するとされており、ストレスがこの経路を増幅する可能性がある。
炎症を鎮める:エビデンスに基づく介入
ストレス性炎症の分子メカニズムが解明されたことで、エビデンスに基づく介入戦略も明確になりつつある。最も有力な非薬物的介入の一つがマインドフルネス瞑想である。2016年、カーネギーメロン大学のDavid Creswell博士らは、Biological Psychiatry誌に35名のストレスを抱えた失業成人を対象としたRCTの結果を発表した(Creswell et al., 2016)。3日間の集中マインドフルネスプログラムを受けた群では、4か月後の血中IL-6レベルが対照群(リラクゼーション訓練群)と比較して有意に低下していた。脳画像解析では、マインドフルネス群でデフォルトモードネットワークと前頭前皮質の機能的結合が増強しており、これがストレス応答の調節改善と関連していた。Black & Slavich(2016)のメタ分析でも、瞑想がNF-κB活性、CRP、TNF-αを低下させることが確認されている。
運動の抗炎症効果も強力である。運動時に骨格筋から放出されるIL-6は、パラドキカルに抗炎症作用を持つ。安静時の慢性的なIL-6上昇は炎症のマーカーであるが、運動による一過性のIL-6放出は抗炎症性サイトカインIL-10の産生を誘導し、TNF-αの産生を抑制する。Pedersen & Febbraio(2012)はこのメカニズムを「マイオカイン仮説」としてまとめ、定期的な運動が慢性炎症を低減する分子的基盤を明らかにした。Hamer et al.(2012)の大規模コホート研究では、週に150分以上の中等度運動を実施する人は、非活動的な人と比較してCRPレベルが有意に低いことが示されている。
食事介入もまた重要である。地中海食(オリーブオイル、魚、野菜、果物、ナッツ、全粒穀物を中心とする食事パターン)は、繰り返しCRPの低下と関連することが示されている。PREDIMED試験のサブ解析では、地中海食にエクストラバージンオリーブオイルまたはナッツを追加した群で、炎症性バイオマーカーが有意に減少した。また、社会的つながりの保護効果も見逃せない。Holt-Lunstad et al.(2010)の大規模メタ分析(30万人以上)は、強い社会的関係を持つ人は死亡リスクが50%低いことを示し、その効果量は禁煙や運動開始に匹敵した。社会的つながりが炎症を抑制するメカニズムとしては、HPA軸の緩衝作用とオキシトシンによる抗炎症効果が想定されている。ストレスと炎症の連鎖を断つことは、個人の行動変容だけでなく、社会的な支援構造の構築を含む包括的なアプローチを必要とする。予防医学の未来は、分子メカニズムの理解と社会的介入の融合にある。
出典・参考文献
- Kivimäki, M. et al. "Job strain as a risk factor for coronary heart disease: a collaborative meta-analysis of individual participant data." The Lancet, 380(9852), 1491-1497, 2012.
- Irwin, M.R. & Cole, S.W. "Reciprocal regulation of the neural and innate immune systems." Nature Reviews Immunology, 11, 625-632, 2011.
- Cohen, S. et al. "Chronic stress, glucocorticoid receptor resistance, inflammation, and disease risk." Proceedings of the National Academy of Sciences, 109(16), 5995-5999, 2012.
- Ridker, P.M. et al. "Antiinflammatory Therapy with Canakinumab for Atherosclerotic Disease." New England Journal of Medicine, 377(12), 1119-1131, 2017.
- Creswell, J.D. et al. "Alterations in Resting-State Functional Connectivity Link Mindfulness Meditation With Reduced Interleukin-6: A Randomized Controlled Trial." Biological Psychiatry, 80(1), 53-61, 2016.
- Slavich, G.M. & Irwin, M.R. "From stress to inflammation and major depressive disorder: a social signal transduction theory of depression." Psychological Bulletin, 140(3), 774-815, 2014.
- Miller, G.E. et al. "Chronic psychological stress and the regulation of pro-inflammatory cytokines: a glucocorticoid-resistance model." Health Psychology, 21(6), 531-541, 2002.
- Raison, C.L. & Miller, A.H. "Is depression an inflammatory disorder?" Current Psychiatry Reports, 13(6), 467-475, 2011.
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