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NAD+とNMN:細胞エネルギー研究の最前線

分子構造を象徴する科学的イメージ。NAD+は細胞のエネルギー代謝に不可欠な補酵素

あらゆる生命活動の根幹には、エネルギーの生産と利用がある。その中心的な役割を担う分子が、NAD+(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)である。1906年にArthur HardenとWilliam John Youngがアルコール発酵の研究で初めてその存在を認識して以来、NAD+は生化学の歴史とともに歩んできた。しかし近年、この分子が単なるエネルギー代謝の補酵素にとどまらず、老化プロセスそのものを制御する鍵であることが明らかになりつつある。加齢に伴うNAD+レベルの低下を補充することで老化を遅延させられるのではないか──この仮説が、NMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド)をめぐる世界的な研究競争を生んでいる。

NAD+とは何か:細胞の燃料を運ぶ分子

NAD+は、すべての真核生物と多くの原核生物に存在する補酵素であり、細胞内の500以上の酵素反応に関与している。その主要な機能は酸化還元反応における電子の受け渡しであり、解糖系、TCA回路(クレブス回路)、酸化的リン酸化といったエネルギー産生経路の各段階で不可欠な役割を果たす。NAD+は水素イオンと電子を受け取ってNADHに還元され、ミトコンドリアの電子伝達系でATP合成に利用される。

しかし、NAD+の役割はエネルギー代謝にとどまらない。2000年、ワシントン大学のShin-ichi Imai博士とMIT(マサチューセッツ工科大学)のLeonard Guarente博士は、NAD+がサーチュイン(sirtuin)と呼ばれる長寿関連酵素の必須基質であることを発見した(Imai et al., 2000, Nature)。サーチュインは哺乳類では7種類(SIRT1〜SIRT7)が同定されており、ヒストン脱アセチル化、DNA修復、ミトコンドリア生合成、炎症制御など多岐にわたる機能を持つ。NAD+なしにはサーチュインは活性化できないため、NAD+レベルの低下はサーチュイン機能の低下を直接的に意味する。

さらに、NAD+はPARP(ポリADPリボースポリメラーゼ)のDNA修復活性にも不可欠である。DNAが損傷を受けると、PARPが大量のNAD+を消費して修復を行う。加齢に伴いDNA損傷が蓄積するとPARPによるNAD+消費が増大し、サーチュインに利用可能なNAD+がさらに減少するという悪循環が生じる。CD38(後述)による分解と合わせ、NAD+の枯渇は老化の中心的メカニズムの一つと考えられるようになっている。

加齢によるNAD+減少の科学

科学研究のイメージ
NAD+の加齢性減少メカニズムの解明は、老化研究の最重要課題の一つである(Photo: Unsplash)

ヒトの体内NAD+レベルが加齢とともに顕著に低下するという知見は、複数の独立した研究で確認されている。Massudi et al.(2012)の研究では、ヒトの皮膚組織におけるNAD+レベルが加齢とともに直線的に低下し、50代の組織では20代と比較して約50%に減少していることが報告された。Zhu et al.(2015)はヒト脳組織でも同様の傾向を確認している。

NAD+減少の主要な原因として注目されているのが、CD38という酵素の加齢に伴う増加である。2016年、メイヨー・クリニックのEduardo Chini博士らは、Cell Metabolism誌に発表した論文で、加齢マウスの組織においてCD38の発現と活性が著しく増加していることを示した(Camacho-Pereira et al., 2016)。CD38はNAD+を分解するNADase活性を持ち、その増加はNAD+レベルの低下、ミトコンドリア機能の障害、代謝異常と密接に連動していた。CD38をノックアウトしたマウスでは加齢に伴うNAD+低下が大幅に抑制されたことから、CD38がNAD+減少の主要な駆動因子であることが示唆された。

NAD+の減少はミトコンドリアの機能低下と直結する。Gomes et al.(2013)は、NAD+の低下がSIRT1活性を減弱させ、HIF-1αの蓄積を引き起こし、ミトコンドリアのエネルギー産生能力を低下させることをCell誌で報告した。このNAD+→SIRT1→ミトコンドリアの軸は「擬似低酸素応答(pseudohypoxia)」と命名され、加齢によるエネルギー代謝低下の分子的基盤として広く受け入れられている。Rajman et al.(2018)はCell Metabolism誌の包括的レビューで、NAD+の補充がこの擬似低酸素状態を逆転させ、ミトコンドリア機能を回復させる可能性を論じている。

NMN臨床試験の現在地

NAD+は分子量が大きく、経口摂取してもそのままでは細胞に効率的に取り込まれない。そこで注目されたのが、NAD+の前駆体(プレカーサー)であるNMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド)とNR(ニコチンアミドリボシド)である。NMNは細胞内でNMNATという酵素によってNAD+に変換される。2011年にSlc12a8というNMN特異的トランスポーターが小腸で同定され(Grozio et al., 2019, Nature Metabolism)、NMNの経口吸収経路が明確になった。

2021年、ワシントン大学のJun Yoshino博士らは、Science誌にヒト初の大規模NMN臨床試験の結果を発表した(Yoshino et al., 2021)。過体重・肥満の閉経後女性25名を対象としたこの二重盲検RCTでは、250mg/日のNMNを10週間経口投与したところ、骨格筋のインスリン感受性が約25%改善した。これは、NMNがヒトにおいて代謝パラメータを有意に改善することを示した最初のエビデンスであった。ただし、血漿NAD+レベルや体組成には有意な変化は認められなかった。

日本では、慶應義塾大学を中心としたグループがNMNの安全性と有効性を検証する複数の臨床試験を実施している。Irie et al.(2020)の第I相試験では、最大500mg/日のNMN経口投与がヒトにおいて安全であることが確認された。Yi et al.(2022)は、40〜65歳の健康な成人80名を対象としたRCTで、NMN(300mg/日、60日間)投与群の歩行速度と握力が対照群と比較して有意に改善したことをScience誌で報告している。中国では1,000名規模の大規模RCTが進行中であり、長期安全性と多臓器にわたる効果の検証が期待されている。

NR vs NMN:前駆体論争

研究室の試薬。NMNの臨床研究は世界中で進行中
NMNとNRの前駆体としての優劣は、バイオアベイラビリティと細胞内動態の両面で議論されている(Photo: Unsplash)

NAD+前駆体の研究において、NMNと並んで注目されているのがNR(ニコチンアミドリボシド)である。NRはChromaDex社が「Niagen」のブランド名で商品化し、Elysium Health社は「Basis」という製品でプテロスチルベンとの組み合わせを販売している。NRは2004年にCharles Brenner博士によってNAD+前駆体ビタミンとして再発見され(Bieganowski & Brenner, 2004)、NRキナーゼ(NRK1/NRK2)経路を介してNAD+に変換される。

NRとNMNのバイオアベイラビリティ比較は重要な論点である。Trammell et al.(2016)はNature Communications誌で、ヒトにおけるNRの経口投与が血中NAD+レベルを2.7倍に上昇させることを報告した。一方、NMNは長らく経口摂取後にNRに分解されてから吸収されると考えられていたが、Grozio et al.(2019)によるSlc12a8トランスポーターの発見により、NMNがそのまま小腸から吸収される経路が示された。ただし、この経路のヒトでの寄与度については議論が続いている。

現時点では、NRとNMNのどちらが「より優れた」NAD+前駆体であるかを結論づけるエビデンスは十分ではない。両者とも複数のRCTで血中NAD+レベルの上昇が確認されているが、臨床的に意味のある健康アウトカムの改善を確実に証明した大規模試験はまだない。Brenner博士は自身が共同創業者であるChromaDex社の立場からNRの優位性を主張し、David Sinclair博士は自身もNMNを使用していることを公表している。研究者と商業的利害の交錯は、この分野の科学的評価を複雑にしている要因の一つである。

課題と展望:サプリメントの限界

NMNおよびNRサプリメントの最大の課題は、長期安全性データの不足である。既存の臨床試験のほとんどは投与期間が10〜12週間であり、数年間にわたる継続摂取の安全性は未知数である。特に懸念されるのは、NAD+レベルの上昇ががん細胞の増殖を促進する可能性である。がん細胞もまたNAD+に依存してエネルギーを産生しており、NAD+を補充することで腫瘍の成長を加速させるリスクは理論的に否定できない。Navas & Carnero(2021)はこの懸念をNature Reviews Cancer誌で論じている。

規制面では、米国FDAが2022年にNMNを新規栄養成分(NDI)としてではなく新薬候補として分類する判断を下したことが波紋を呼んだ。Metro International Biotech社(David Sinclair博士が共同創業者)がNMNを新薬候補として申請していたためであり、この決定はNMNのサプリメントとしての販売を制限する可能性がある。2023年にはFDAがこの立場を再確認し、NMN製品を販売する複数の企業に警告書を送付した。ただし、この規制は米国に限定されており、日本やEUでは引き続きサプリメントとして入手可能である。

NAD+の前駆体は食品中にも存在する。NMNはブロッコリー(100gあたり0.25〜1.12mg)、枝豆(0.47〜1.88mg)、アボカド(0.36〜1.60mg)などに含まれるが、サプリメントの一般的な用量(250〜500mg)を食品だけで摂取するのは現実的ではない。David Sinclair博士はハーバード大学の研究者として自ら1,000mg/日のNMNを摂取していることを公表し、ポッドキャストや著書を通じてNMNの効果を広く宣伝してきた。しかし、自身が共同創業者であるMetro International Biotech社の商業的利益との利益相反は批判の対象となっており、科学的なエビデンスと個人的な推奨の境界が曖昧になっている点は注意が必要である。NAD+研究は確かに老化科学の有望な領域であるが、「若返りのサプリメント」というマーケティング的言説と、厳密な科学的エビデンスの間にはまだ大きなギャップが存在する。

出典・参考文献

  1. Imai, S. et al. "Transcriptional silencing and longevity protein Sir2 is an NAD-dependent histone deacetylase." Nature, 403(6771), 795-800, 2000.
  2. Camacho-Pereira, J. et al. "CD38 Dictates Age-Related NAD Decline and Mitochondrial Dysfunction through an SIRT3-Dependent Mechanism." Cell Metabolism, 23(6), 1127-1139, 2016.
  3. Yoshino, M. et al. "Nicotinamide mononucleotide increases muscle insulin sensitivity in prediabetic women." Science, 372(6547), 1224-1229, 2021.
  4. Trammell, S.A. et al. "Nicotinamide riboside is uniquely and orally bioavailable in mice and humans." Nature Communications, 7, 12948, 2016.
  5. Rajman, L. et al. "Therapeutic Potential of NAD-Boosting Molecules: The In Vivo Evidence." Cell Metabolism, 27(3), 529-547, 2018.
  6. Grozio, A. et al. "Slc12a8 is a nicotinamide mononucleotide transporter." Nature Metabolism, 1(1), 47-57, 2019.
  7. Gomes, A.P. et al. "Declining NAD+ induces a pseudohypoxic state disrupting nuclear-mitochondrial communication during aging." Cell, 155(7), 1624-1638, 2013.
  8. Massudi, H. et al. "Age-Associated Changes In Oxidative Stress and NAD+ Metabolism In Human Tissue." PLoS ONE, 7(7), e42357, 2012.

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